僕はブラックでもない会社を1年で行けなくなってやめたという過去があるんだけど、そのことを社畜系発信ブログに投稿させてもらったのね。
適応障害が原因で入社3ヶ月で休職!その後クビになってわかった事|今日は社畜祭りだぞ!
ここに書いてある通り、適応障害はとくに「人が普通にできること」ができねえの。
だからしょっちゅう同じことで失敗するし、失敗したときの罪悪感とか焦りが尋常じゃない。
それによる精神的な疲れも尋常じゃないので、家に帰ったらパタリと倒れる。
僕は同じように自分を責めすぎてしまう人に向けて記事を書いたわけだ。
ところがどっこい、この投稿した記事に対してこんな声も出てくるわけで


僕はそんなありがたいコメントを残してくれた人たちに問いたい。

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当たり前のことができないと「甘い」らしい

あなたは車いすに乗って生活している人を見て、

って思いますか?
思わないですよね。
僕のように「毎日会社に行くこと」ができない人はいる。
その原因が何なのかは多種多様だけど、とりあえず僕は色々試したし復職プログラムもやったんですよ。
それでもどうしても行けないというのは「どうしてもできない」のと同じだ。
足が不自由で車いすに乗っている人と何が違うんですかね?
自分にできることは誰にとっても「当たり前」と思ってない?
「当たり前」っていうのは、砂漠の蜃気楼のようにつかみどころがなくてフワフワしたものなんですよ。
だって人によって当たり前の物差しが違うからね。
僕でさえ、毎朝目が覚めて起きることは当たり前だと思っている。
でもさ、だからといって朝に起きられない人を「甘い」だなんて思ったことは一度もないよ。
ようするに・・・自分にとっての当たり前を、できない人に押し付けんなって言ってんの!
「甘い」だなんて言う人が居なくならないから、ブラック企業は滅亡しないんでしょ?
できないことを「甘い」のひと言で片づける人は、「甘い」という考えがあるからブラック企業が存在していることをもっと理解した方がいい。
車いすに乗っている人は見た目で「足が不自由なんだな」と理解できる。それはわかる。
でも、目に見えないところでできないことがある人もいるんですよ?
そんな人に対して、おもむろに獲物を見つけたかのように牙をむくよね。
- 「甘い」なんて心ない言葉を言える人
- 「やればできる!できないのはやってないからだ!」の根性論を振りかざす人
この2つはどこが違うというのでしょうか?
自分にできることはみんなできると勘違いして「甘い」と言える人がいなくならないから、人を平気で食いつぶすブラック企業がなくならないんですよ。


「甘い」はただの身勝手な根性論

僕がもし自分を責めるようなことをせず、純粋にサボっているだけだとしたら「甘い」と言われて考え直すこともあるだろう。
自分の甘さはどうすれば克服できるのか、できることとできないことをどう町尻あわせしていくのか・・・正直めっちゃ悩みますよ。
でも、甘いって言った人はそこまで深く考えてないよね。
そこにあるのはただの「自分にできることがなんでできない!」という根性論だ。
そんな言葉に振り回されている人が世の中にどれだけいることか・・・
甘くて何が悪いのか
ここで最初に言われた言葉を振り返ってみましょう。

はいここ!
「やっていけるのか」ってなに?
ブラック企業で精神をすり減らしながらも従順に働き続けることかな!?
甘い道を選ぶということは、自分にあった道を選んだということでしょう。
毎日通勤することができないのに無理して死ぬくらいなら、僕は自分に優しい道を選びますよ。
「甘い」と言い放つ人は「甘い」と言われて育った
だから「甘い」という人がいるのはある意味しかたない。
自分にとって当たり前のことが他の人にも
- できるか
- できないか
それしか評価の方法がないというなら、もうなんも言えないですよね。
だから「甘い」と言われたところで気にする必要はないですよ。
その世界でやっていくことに固執しているならともかくね。
わざわざできないことに囚われて、悩まされて人生ぶち壊すことはないよ。
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できないことに正直になったから前に進めた

結局、不自由な足では歩くことはできなかったわけで。
どうしても会社に毎日行くことができないなら、会社に行かなくてもなんとかやっていけそうな道を選んだわけです。
その選択肢を見つけられたおかげで、今自分は「甘い」とは無縁の世界にいます。
それでいいんだよ。柔軟に生きていこう。
耐える人生か。選ぶ人生か。
前向きに「諦める」ことから、自分らしい人生が開けてくる。諦めることは、逃げることにあらず。
与えられた現実を直視し、限られた人生を思い切り生きるために、
よりよい選択を重ねていくことこそが「諦める」ことの本質である。
オリンピックに3度出場したトップアスリート・為末大が、
競技生活を通して辿り着いた境地。