どうも、かずのこ(@roomliveman)です!
ご存知かもしれませんが、僕は現在進行形で引きこもりです。
そしてこんなことを言えば怒る方がいらっしゃるかもしれませんが、親の経済力のおかげで不自由のない暮らしをしています。
はて?
僕はこのブログを始める以前、無気力だった頃は働けるようになって経済的に自立したい!実家から出て、また1人で暮らしていくんだ!とばかり考えていました。
だけど自立していないのに、ある程度の幸せを感じています。
どうして1人で暮らしていく必要があるんでしょうか。
1人で暮らし始めたらハッピーになれるのか?そんな保障は誰がしてくれるの?
引きこもっていながら、今でもそれなりに幸せを感じている自分がいる。この幸せは嘘なのか?
毎日打ち込めることがあって、生活にも困らない状態でいる自分がいる。死ぬまでずっとこのままでいられる・・・とはもちろん思ってないけど、このままではいけないと焦っている自分はいなくなりました。
お金を稼いでいないけど、幸せ自体は感じられている。
だけど世間は金を稼がなきゃと言う。それが幸せなのかどうかはお構いなしに。
もくじ
人の幸せを邪魔するやつはどんな腹づもりでいるのだ
僕は現在、自分なりに頑張って過ごしているつもりです。毎日打ち込めることを見つけて、自分から人と出会って笑い会えるようになり、人のお手伝いも少しずつ任せてもらえるようになった。
世間と違うのはただひとつ、自分ひとりの力で生きていけるほどの収入が僕にはないことだけ。でも、しっかりそれなりに幸せは噛みしめているんですよ。
幸せは気付くもの

そうするとどこからともなくヤジがとんでくる。

おや、他の方向からも声が聞こえてきたぞ?

ご意見ありがとうございます。あまり意見を言えるような立場じゃないのかもしれませんが、それは大きなお世話です。本当に申し訳ない。
人の幸せを「違う!それは幸せじゃない!」なんてどうして否定できるでしょうか。
お金を稼ぐことや自立をすること=幸せ・・・って、それホントに言ってる?
お金は生きていくうえで必要なシステムです。それくらいは分かっています。
でもさぁ?お金を稼ぐことが幸せに直結するなんて考えはちょっとバブリーなんじゃないかな?
住み心地の良い実家をわざわざ出て、収入の3分の1を取られながらも狭い部屋を借りること=幸せなんですかね。
ひとり暮らしの経験も、経済的に自立した経験も(いちおう)あるけど、それ自体が幸せだと思ったことは一度もないですよ。
僕が実家にいる理由
むしろ、働けなくても自立していなくても、ここしばらくで今がいちばん幸せかもしれない。
僕の母は、僕が実家に帰って来なかったら広い家にひとり寂しく暮らすことになっていました。掃除する時間もないほど忙しく、今月なんて休みが1~2日ほどしかないそうです。
そんな母が家の心配をすることなく頑張って働きに出られるのは、僕が家にいて家事を手伝ってくれるからだと言います。僕はその時ほど自分が誰かの助けになれていたのだと実感したことはありません。
母が疲れて帰ってきたら、僕が晩酌の相手をして、話を聞いたりビールを注いだりします。買っておいたビールをキンキンに冷やしておくのも僕の役割です。
僕は家に縛られているんじゃなく、自分の意思で実家にいる。ここが今いちばん必要とされ、自身も頑張れる環境だと理解しているから。
今こうしていることが僕にとっては大きな収穫なんだ
僕が伝えたいことはただひとつだけ。
【無気力】【引きこもり】【ニート】
そんなマイナスイメージ三銃士のそろった僕が、ブログをきっかけにして変わっていくということ。
お金があれば確かに色んなことができるかもしれないですが、そこだけに気を取られてたら今こうして変化している自分に気付けないんじゃないでしょうか。
得たものとは
ブログを始めて、無気力と死闘を演じながら更新し続けました。
そしたらいつの間にか人と話すようになっていった。多くの人にブログを見てもらえるようにもなった。疎遠になっていた友人から声がかかった。自分なりの働きをして対価をいただけるようになった。
仕事をしてお金を稼ぐことは信頼になりますが、僕はブログを続けて自分への信頼感を持つことができました。このおかげで、今感じている幸せを幸せだと感じていいんだと思えるようになりました。
正直に言ってひとつに絞れないくらい得たものは多いんですが、「ブログで大金稼ぐぜヒャッハー」ばかり考えてたら間違いなくひとつも得られなかったでしょうね。
僕は今幸せだ。これからはどうすれば幸せになれる?
自分は今充分に幸せを感じていることを認める。これを言いたかった。
お金を稼いでいなくても、自立していなくても、幸せは感じていいんだ。これも言いたかった。
じゃあ、これから10年後20年後は今と変わらなくても幸せなのか?
それは違いますよねー。いつまでも同じ形の幸せなんてない。続く保障もない。
幸せだからと言って、その幸せは永遠のものではないからね。
自分がどういったことに幸せを感じるか分からないなら、いつまでも幸せのありかは分からない。そういう人は年収や立場という分かりやすい目印に頼ればいい。
だけど幸せってのはたぶん、定義できないんだよなぁ。
まとめ
今回の主張ポイント!
- 引きこもりのかずのこは幸せであることを認める
- 幸せを感じるポイントは人によって異なる
- 人の幸せにケチつけるのは見当違い
- 幸せと義務感は別のもの
- お金にばかりとらわれていると、幸せに気付けなくなるかもしれない
- ブログやっててよかった
はじめまして。
流れ流れて
かずのこさんの
このblogに漂流しました。
わたしは
身内の引きこもりに悩む者です。
まとめの主張ポイントの
「お金に気をとられてばかりいると
幸せに気づけないかもしれない」
はまさに賛同です。
昔からある
一般的…と言われる
型にはまったしあわせの形に無理に合わせようとして
いびつなオトナ、生き方しているヒトビトがたくさんいます。
いまが
しあわせの多様さを知り、認める
過渡期の時代だと想います。
かずのこさんも
その多様さを体現し
生きざまとして魅せてくれるのを楽しみにしてますね (^^)
わたしも自分として生きていこうと想います。
ひーさんコメントありがとうございます。
賛同そして応援の言葉をいただいてとても嬉しい思いです!
身内に引きこもりの方がいらっしゃるとのことですが、生き方の多様性を見出していくことがひとつの解決策になるかもしれません。
とはいえ、無理して認めるのはやっぱりしんどいので、ひーさんの心情と折り合いをつけて考えていけたらいいですね(^^)/