どうも、引きこもりのかずのこ(@roomliveman)です!
なかかずさんの返答に応える形となります。
これまでの引きこもり交換日記
そして今回になります!
なかかずさんの「引きこもりはネットを使って仲間を作れ!」に応える形の、僕の持論となります。
あらためて、引きこもりを気に病む必要は”まったくない”んじゃないかと

あの日の僕ら
僕は近ごろ、強く思うことがあります。
引きこもりで悩んでいたけど、それって見当違いなんじゃないのか?ってね。
なぜなら、周りの人たちは僕が引きこもりだろうと関係なく、行動している姿を視て応援してくれていたからです。
ついでに言うと、引きこもりは別に悪いことじゃない。だから悩む必要もない。
なぜそう思うに至ったか、理由を書いていきますね。
僕は引きこもりをカミングアウトしてよかった
僕は人の目や感情に敏感で、そこから逃げるために引きこもった。
それからもTwitterはやり続けていたけど、誰にも引きこもりであることを打ち明けなかった。
なかかずさんの言う通り、「自分は引きこもりです」と言えば見下されると思ったからです。
日本の場合はリアルで会うとなると、年齢や職業(肩書き)で上下関係をつけたがるから、コミュニケーションが取りづらいんですよね。
「自分は引きこもりです」なんて言おうものなら、ほぼほぼ下に見られます。
でもネットだとそんなの関係ない。
対等な立場でコミュニケーションが取れる。
別に引きこもりだって言う必要もない。信頼できる人だと分かってから話せばいいし。
否定することをやめて、逃げることをやめて、認めた。
そこまでいってようやく、「引きこもりの自分でもできること」を探そうと思えました。
それからは言及していただいた通り。
「引きこもり」の自分でも肯定してくれる人との出会いに恵まれたわけです。
僕に仲間ができたのは、引きこもりだったからじゃない
ここでゼッタイに間違えちゃいけないことを確認します。
僕が「引きこもり」の自分でも肯定してくれるような人と出会えたのは、ただ単に引きこもりながらネットをしたからじゃない。
引きこもりだとカミングアウトしたうえで、ネット社会に発信したからです。
ただTwitterに愚痴をこぼすだけじゃ仲間はできない。
自分の弱みを打ち明けて、それでも人とのつながりを欲しいと求めたからできたことなんです。
それは、なかかずさんだってそうですよ。
自分の弱みを打ち明けていたから、こうやって僕とも知り合った。
打ち明けるためには相当勇気を出したんだと思います。
だよね?なかかずさん?(笑)
自分を肯定してくれる人は、肩書きじゃなく”行動している姿”を視ている
たとえば僕が引きこもりであることを打ち明けたあと、これまで通りの引きこもりっぷりを続けるとしましょう。
毎日動画サイトを訪問し、自分から何かをしようとは思えないまま過ぎていく日々。
それでは自分を肯定してくれる人は永久に現れなかったに違いありません。
人は肩書以上に、その人が行動している姿を視ているんです。
理念も情熱もなく、行動しないだけの人に理解者は出てこない。
引きこもりは悪いことじゃない
けっこう前に、色んなとこへ相談しに駆け回っていたころ、関わった方がおっしゃっていました。
「インターネットがあるから引きこもりなんてのが生まれたんですよ」
うん。ま、そうでもないと引きこもりの数がここまで増えることはないよね。
「ふだんは家にいるが,自分の趣味に関する用事の時だけ外出する」者を含む広義のひきこもりは,69.6万人と推計。
けど、それは当たり前ですよね。
インターネットが普及したから引きこもっていても生きていけるようになった。
すでに引きこもりでありながらも暮らしていける収入を得ていたり、生きがいを感じていたりする人がごまんといる。
つまり、引きこもりは新しい人間の生き方のひとつに成り上がったんですよ。
だから、引きこもりは決して悪いことじゃない。
最後に残るのは、「引きこもりながらも何を思い、どんな行動をとっているか」の一点です。
そこを打ち明けることができれば、必ず理解者はやってくる。
自分の中の「引きこもりを嫌う気持ち」と和解せよ!

引きこもりになる人間は、そりゃもう要因としては十人十色でしょうね。
でも、総じて言えるのは「引きこもりは決して悪いことではない」ということです。断言します。
人並み以上の稼ぎがあれば社会人を黙らせられるような・・・楽しそうにしてたら羨ましがられるような・・・引きこもりってのは、そんなあいまいな価値観です。
引きこもりは嫌だと自分を貶めるくらいなら、引きこもりとしての自分と和解しよう。
「引きこもりはネットを通して仲間をつくろう」
僕となかかずさんはこの点において、同じ意見を持っています。
だからこそ知り合えたというのもある。
僕らのような成功例が、きっとどんな引きこもりの人にもあるに違いない。
引きこもりを認めよ!
引きこもりと和解せよ!
人は引きこもりかどうかより、引きこもりの人間が何をしているかを視ているぞ!