いつもお世話になっております、かずのこ(@roomliveman)です!
先日の7/3に「マンガ家対談 かわぐちかいじ×こうの史代」というイベントに行ってきました。なんせ家から近かったのと、参加無料というのが聞きましたね。
長くマンガ家として活躍しておられる先生方のお話は興味が湧くような内容ばかりで、ときおり会場で笑いが起きていました。
こうやってブログを毎日書いている自分にとっても参考になる話は多かったので、ここでご紹介します!
もくじ
かわぐちかいじ先生、こうの史代先生について
かわぐちかいじ
かわぐちかいじ先生の名前は『ジパング』を読んだので以前から知っていました。他にも『沈黙の艦隊』や『僕はビートルズ』などで目にした機会はあるかと思います。
リアルで目に生命力があるキャラクターが魅力!
200X年のイージス艦が、1942年にタイムスリップしたならば――。“来(きた)る”太平洋戦争が、その先の“みらい”が激震する!! ――海上自衛隊所属、最新鋭イージス艦「みらい」、謎の暴風雨に遭遇(そうぐう)。そしてすべての僚艦(りょうかん)、失踪(ロスト)……。やがて、1942年・ミッドウェー海戦域のド真ん中に“出現”した「みらい」は、撃墜(げきつい)された海軍将校を救助。そして、「歴史」は塗り替えられる――!! 講談社漫画賞受賞。圧倒的なイマジネーションで描き出される、歴史横断超大作!
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こうの史代
こうの史代先生は『この世界の片隅に』というマンガが10月に劇場アニメとして放映されるので気になっていた方です。知り合いも「絶対読むべき」と言っていたので、今度借りて読ませてもらう予定^^
平成の名作・ロングセラー「夕凪の街 桜の国」の第2弾ともいうべき本作。戦中の広島県の軍都、呉を舞台にした家族ドラマ。主人公、すずは広島市から呉へ嫁ぎ、新しい家族、新しい街、新しい世界に戸惑う。しかし、一日一日を確かに健気に生きていく…。
[/wc_box] どちらもマンガを通して様々な賞をとったりして、現在もなおご活躍されているとのことで。かわぐちかいじ先生はこのために東京から出張しなすったんだとか。そんなおふたりの面白い話、たくさんメモってきたので放出しますよ~!
マンガに目覚めた時期

100人募集のところ、180人集まった!!
尾道市生まれのかわぐちかいじ先生はもともと絵が好きで、そのときにブームが巻き起こっていたマンガのキャラクターを模写するところから始めて、弟と一緒に自作のマンガを書いていたのだそうです。
大学に入ってからもマンガ研究会に属してひたすら書き続けました。弟の方は気付いたら筆ではなくギターを握っていたとか(笑)
かわぐちかいじ先生曰く「自分ひとりでやってたらここまで続いてない」だそうです。
こうの史代先生も同じように、自作でマンガを書いていたそうです。理由はマンガを買ってもらえない家だったから。そんじゃお金もかからない、読み放題な、自作のマンガを自分たちで書いたらいいんじゃない?ってことらしいです。
そのとき「世の中にこんなに楽しいことがあるのか!」と思い、中学生にして生きがいを見つけられたと仰っていました。
学校に自作小説を書いている友達がいて、毎日のように見せ合っていたのだとか。その友達と会わなくなってからも書き続けたんですね。
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こう見るとおふたりとも、誰かが読んでくれたり、一緒に書いたりするから楽しんでマンガを書いていたんでしょうね~。
最初からひとりで始めても、誰からも反応が何もないと寂しくてすぐ飽きてしまいます。そんなときに読んでくれたり、感想を言ってくれたりする人がいて良かったんじゃないかな。そうでなければマンガ家のおふたりはいなかったかもしれませんし。
何かを始めるとき、応援してくれる人が近くに居ることはとても大きいですね。
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自分が面白いと思って書いたものが、読者も面白いと思えるかは分からない
過去おふたりとも共通して悩んでいたのが、「読んでくれる人がどんな人か分からない」だったようです。
確かに、マンガ家ともなれば日中仕事部屋にカンヅメ状態。ネットなんてない時代から書かれているので、読者の声はお便りくらいしかなかったんじゃないでしょうか。
だもんで、どういった話が読者にウケるのかがイマイチ分からないというのがあったそうです。
もちろん自分が書きたいことを書くのが一番ですが、マンガを書くというのは売れるものを書かなきゃいけないということでもあるので、その折り合いをつけるのがまた大変だそうで・・・。
こうの史代先生は「これは面白いに決まってる!」という思いこみがあったそうです。
自信マンマンに編集に見せた話を「ここ切りましょう」と言われて「なにーっ!」とショックを受けられたようです。
素の「なにーっ!」だったので会場がドっと湧きました。ウケ狙いより自然に出る面白さが笑えたりするんですね。参考になりました・・・!
どんなものが良いマンガとなり得るのか、評価するのはあくまでお金を出して読む読者。
自分が書きたいと思うことを書いてこそ自分の作品が生まれ、その作品をどう育てて読者に届けるのかを論理的に考えるのが編集者。
いわばマンガ家と編集者は母親と父親みたいなものだと仰られていました。なるほど~・・・!
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これ絶対ウケるだろ!といった気持ちで作って、いざ人の目にさらされた瞬間、「あれ?思ってたより反応が薄い・・・。」みたいなこと、よくありますよね。
ウケ狙いのギャグほどウケない、みたいな感覚。思い出すだけでトリハダが立ちます。
何かを生み出すクリエイティブな職業の人は、それが独りよがりのものにならないよう。需要を考えていかなきゃいけませんね。かといってそればかりに気を遣って、自分の書きたいことを書けなくなったら元も子もない。
ホンット、難しいですよね~。
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長くマンガを書いていると飽きてくるときもある

こうの史代先生(左)と、かわぐちかいじ先生(右)
全ての人に共通して襲ってくる魔物「飽き」、ベテランマンガ家のおふたりにもその魔物はやってくるようです。
かわぐちかいじ先生
「8年間も連載してたら途中で飽きてきた。意欲が湧かないのに書かなきゃならないのが本当に辛かったんだけど、そういうのって読者はすぐ気づいちゃうんですよね。そういうときはムリヤリ意欲をかきたてる。」
「最初からマンガのラストを決めつけて、そこに向かうのはすぐ飽きる。でも途中でキャラクターが自然に動いて、自分でもえっ!って思うところがウケたりする。」
こうの史代先生
「私もすぐ飽きちゃうので、こういうシーンを書きたい!と思って、そこに向かって突き進めますね。」
よく読者からの質問で「ストーリーは最後まで考えてるんですか?」というのがあるらしいんだけど、期待を裏切らないように「考えてます!!」と答えるそうです。
実際に大まかな始まりと終わりは考えられているそうですが、途中でキャラクターの動きや書きたいシーンには振り回され、路線変更したりもするみたいですよ(笑)
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同じことを続けているとそのうち飽きがきちゃいますよね。だけどその中でどう工夫すれば飽きないように続けられるか、意欲を失わずに書き続けていられるか。そういったことを考えておられました。
この話も、ブログを書いていてとても共感できますね。常日頃から自分がどういうものを書いているときが楽しいのかを追求していくのもいいかもしれません。
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キャラの見た目は記号である
かわぐちかいじ先生のマンガはリアルなキャラクターが魅力的だという話題から、先生の持論が飛び出してきました。
かわぐちかいじ先生「キャラの見た目は記号なんです。黒板使っていいですか?説明しますんで。」
先生がチョークをとったことで、会場の空気がにわかにざわめき始めた!しかし先生はシンプルな四角、丸、三角を黒板に書きました。キャラクターを書いてくれるんじゃないのか・・・と会場は肩透かしを食らう(笑)
キャラクターっていうのは、極端に言えば図形のような表現で、四角い人は見るだけで四角い人だと判断できる。丸い人は性格も丸いんだとなんとなく分かる。実際のマンガのキャラクターにも同じことが言えるんだとか。
金髪で表情のゆるいキャラはチャラく見えるとか、直毛でメガネのキャラは真面目に見えるとかありますね。
記号化しすぎるとリアル(現実味)からどんどん離れていっちゃうらしいです。現実味というのは、それだけでキャラが生きているというリアル感が増すんですね。
だから、かわぐちかいじ先生の書くキャラの目に生命力を感じるんだと納得しました。
また、記号化したキャラクターはとても書き易いらしいです。最近それに引っ張られ気味なので、もっとリアル寄りに戻したいと仰っていました。あれでリアルじゃないのか・・・(笑)
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記号化というのは、「単純化」「分かり易い」といった側面があると思います。デフォルメされた作風の手塚治虫先生や藤子不二雄先生がそれにあたるでしょうか。
そういった「分かり易さ」に特化した記号を取り入れつつも、現実の人間はとても複雑で目に見えるものだけが真実じゃないですよね。そういった「リアル感」がかわぐちかいじ先生のマンガには感じられます。あの目の深い輝きはそういうことだったのね!
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なぜ日本のマンガには「・・・・・」があるのか
かわぐちかいじ先生のマンガには、よくある「・・・・・」がないそうです。ただキャラクターの真剣な顔が書かれているだけ。話によってはとても説得力を感じさせたり、心情を読み取るキッカケになったりとかなり計算されているなと思ったもんですが。
当の先生によると、ただ点々書くのが恥ずかしいからと笑って答えてました(笑)
しかし、この「・・・・・」という沈黙を点々で表現するのは日本だけだそうですよ!
なぜなのか?それはとっても分かりやすい理由でした。
「中国とかのマンガには点々がないんですよ。なぜかっていうと、中国人は黙っているひまがあればひたすらベラベラ主張している人たちだから、沈黙なんてできない(笑)」
な、なるほどなぁー!
その点日本人は、「沈黙は心のなかで何かを考えている」という解釈ができるので、沈黙のシーンが多用されるそうです。あんま考えてなくても沈黙するけどな!
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とても面白い考察でした。「・・・・・」ってぶっちゃけ言って書く必要はないですもんね。キャラの心情を読み取ってほしいときに使うならいいですけど。無駄なフキダシはない方が説得力や迫力が増すのも頷ける。
全ては日本人が「沈黙の文化」を持っているから、とそういうことでした。
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まとめ
普段は出不精だけど、ゲリラ豪雨を跳ねのけて飛びだした甲斐がありました!
ベテランおふたりの話はとても面白くて、また勉強になりました。マンガ家は目指さないけど、それでも何かを生み出し続けるのに参考になることは多々あったと感じます。
- 読んでくれる人がいると意欲が湧く
- 飽きた時には自分の書きたいことを見直すのも必要
- 自分が面白いと思ったものが、読者も面白いと思うとは限らない
- 目は口程に物を言う
- 中国人はよくしゃべる
まとめたらこんな感じの対談でした!
なんか違うと思ってくれたあなた、ここまでしっかり読んでくださってありがとうございます。
さいごに:サイン貰ったよ!
おふたりのうちどちらかにサインを頂けるとのことだったので、かわぐちかいじ先生のマンガを買って、そこに書いてもらうことにしました。
僕は何か気の利いたことを先生に言って場を和ませようと思いました。
かずのこ「先生のマンガはジパングしか読んだことがないので楽しみです!」
先生「あ、はい。ありがとうございます。」
うわあああはああああん!!!失敗した!!
全然気の利いた言葉じゃなかったし!ジパングしか読んだことないって感じ悪いし!
もういっかいやりなおさせてくださいぃぃ・・・。
かずのこはサイン会童貞だった。貴重な機会をしょーもない思い出として残すことになり、またひとつ黒歴史が増えたのだった。

かわぐちかいじ先生と一緒に撮ってもらったかずのこ(緊張のあまり手が横に)

サインもろたで
あとは、主催にも特別にサインを書かれたそうです。

やばい
やばい・・・。これほしい。
これ、もしかしたら8月の広島国際アニメーションフェスティバルに展示されるかもですな。
広島国際アニメーションフェスティバルっていうのは、アジアで唯一アカデミー賞公認の権威あるイベントで、世界三大にも数えられているそうです。今年で16回目の開催。世界中から有名なアニメイターやアーティストが集まります。
実は今回の対談もこのイベントの先駆けとして行われたものでして。
僕もボランティアで参加する予定です。興味あって夏休みが取れる人はぜひおいでください!
ここまでよんでいただきありがとうございました!