人間関係のミニマリストとして者への執着から解脱する

どうも、かずのこ(@roomliveman)です。

 

僕の特技は人とすぐ仲良くなれること!

・・・なんだけど、会わない間も定期的に連絡をとっている友人は少ないです。

高校、大学時代をはじめ、環境が変わるたびに友人を総入れ替えするかたちできました。

コミュニティのなかでの友人はわりといるけど、一生の友達のような存在はほとんどいない。そんな人間です。

 

電話帳が少ないと駄々をこねることもなく、むしろ独りでいることに寂しさも感じていません。いざ友人と遊ぶ時は最大限はしゃいでるけどね。

僕は自分のことを、人間関係のミニマリストだと称しました。

 

 

【SPONSORED LINK】

ミニマリストは物への執着を捨てている

僕はミニマリストの定義は『物』への『執着』を捨てる人だととらえています。仏教でいう解脱に近いですね。

わたしはミニマリストだぞー!と主張する人はよくスッキリした部屋の写メを撮ります。

確かにスッキリしてる、というよりも・・・フローリングに直に座るのって冷たくない?いや、言いたいことはそれじゃなくて…。

 

衝動買いを少なくしてお金が浪費されていくことは回避できているのかもしれない。

しかしね、部屋の写メを撮ってSNSにアップするということは、多くの人に注目してほしいという願望がこもっていますよね。

つまり執着する対象が『物』から『者』へ置き替えられただけなんじゃないのかというのが実際の心境です。

ただ物を捨てればいいというわけではない。

 

人への執着心は依存心と同義

僕はこう考えます。

他人ありきの思考は、他人の思考に引っ張られる。

 

他人に対してかなり気を遣うタイプだった僕は、ズバリこれでした。

人の意見を参考にしすぎるあまり引っ張られて、いざ自分の意見を言うときになって見失っているんです。

 

日本では他人の顔色や場の空気を読むことは美徳とされてきましたが、TwitterなどのSNSが台頭した結果、個人が言いたいことをひたすら書き殴るのが当たり前になりました。

そんで、みんな言いたいことめちゃくちゃあったということが分かりました。

もう日本の美徳は気にしなくてもいいんじゃないですか?

空気を読んで自分の意見を隠すことは何も考えていないと同じ。

人の考えに依存していると、何も考えずに生きていくのと同じことです。

 

 

人間関係のミニマリスト爆誕

以上の理由で、僕は人間関係のミニマリストでありこれからもそうでありたいと思います。

他人に依存しないことで、自らの意思を腹に持つ。

それがあるから他人との対話に意味ができる。

相手の言葉を肯定して共感するだけの、モテる男特集で見るような人間性は捨てたいと思います。

まったく人と会わないわけじゃない。重要視したいのは他人に依存した思考を持たないこと。

それ抜きで楽しく話せる相手はいくらいても困ることはないけどね。

 

 

【SPONSORED LINK】

執着心を捨てた自由な人でありたい

必要以上の物を持たない生活をしている自称ミニマリストは、それぞれが独自の理論を展開していいと思います。

僕自身は『者』への『依存心』を捨てる自称人間関係のミニマリストだ。

そんな僕は『物』への執着はないけど、衝動買いしてしまうタイプだ。

 

物を持つことで満たされる、人と話すことで満たされる、それは大いに結構ってやつです。

ただ自分を捨てて傾倒さえしなければいい。

 

精神的な執着や依存から解き放たれましょう。

解脱!

 

【SPONSORED LINK】



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です